偉人コーナー
観光マップはこちらから・・・>旭公民館のホームページ

岡田啓介
(おかだ けいすけ)1868〜1952

旭小学校から北に100m。
啓介が生まれた家の近くにある石碑
日之出3丁目2-14

h芍w東口広場の銅像
福井県出身の内閣総理大臣岡田啓介は、旭小学校の第1回の入学生です.
学校を卒業したあと、軍人になり、海軍大将、連合艦隊司令長官、海軍大臣などを経て、1934年には福井県ではじめての内閣総理大臣になりました。
1936年の二・二六事件で、暗殺されそうになりましたが、旭小学校の卒業生で親せき(義弟)でもある、松尾伝蔵が身代りになってくれたおかげで助かりました。
その後、日本は不幸な戦争に突入しましたが、平和を求め、終戦に向け努力しました。












松尾伝蔵
(まつお でんぞう)1872〜1936

旭小学校の校庭に立っていた頃の胸像
岡田啓介の身代りに松尾伝蔵は、旭小学校の第一回の入学生です。
二・二六事件では、暗殺されそうになった岡田啓介の身代りになって射殺されました。
平成28年度末に旭小学校の校庭から福井駅東口広場に胸像が移され、岡田啓介を守るように隣り合って設置されました。
毎年、2月26日には、今も,旭の子ども達も参加し胸像の前で、献花祭(けんかさい)が行われます。

 
現在の胸像
大森房吉
(おおもりふさきち)1868〜1923
旭小学校の西、
旭公民館に隣接する手寄公園に立つ胸像と石碑。
地震学の父大森房吉は、旭小学校の卒業生です.
旭小学校を卒業したあと、東京大学に進み、理学博士になりました。
海外へ何度も勉強に行ったあと、『大森式地震計』を作り、地震学の父ともいわれました。
房吉の作った地震計は最近まで気象台で使われていました。
昭和39年に福井市に贈られ、福井市立郷土歴史博物館に保管されています。
吉田東こう
(よしだ とうこう)1814〜1856
幕末の英雄を育てる
江戸時代末、松平春嶽公につかえた学者です.学問は実践にあると主張していました.黒船がきた時には、江戸まで出かけ、自分の考えを述べました。幕末の英雄橋本左内、由利公正、杉田定一らを育てています。




















鈴木主税
(すずき ちから)1814〜1856
幕末の英雄
加藤寛治
(かとうかんじ)1870〜1939
海軍の長老
塚原芥山
(つかはらかいざん)1907〜1945
福井が生んだ陶芸家
松平春嶽の側近として、中根雪江、橋本左内などとともに福井藩の立てなおしをしました。 明治3年に豊島中町に誕生する.海軍大将となって、日清、日露戦争などに参戦しました。 明治40年に豊島中町に誕生する。昭和5年に瀬戸の加藤雲山に弟子入りし、生涯の師友加藤唐九郎と出会いました。昭和20年38才で死去するまで、優れたろくろ技術と絵付けにより、独特の世界を形づくりました。